私がめざすのは、
  日本を元気と生きがいのある社会にすること。
  そのためには、あらゆる世代の人々が自分に合った医療や治療法を
  気軽に安心して利用できることが必要です。 
  自立的な健康を手に入れ、生きがいのある仕事と充実した生活を共存させ、
  生き生きと人生を楽しんでいること。
  私はそんなネットワークを創りたい。

  それを実現するためには、『がんばらない、でも、あきらめない』ことが肝心。

  『がんばらない』とは、一生懸命にならないことではなく、
  自分の気持ちや身体からのメッセージを無視してまで
  「仕事」や「他人」を優先しすぎないこと。

  それさえ気をつけて夢をあきらめなければ、
  『本当にどんなにつらいことでも、
  それが正しい道を進む中での出来事なら、
  峠の上りも下りもみんな、
  本当の幸いに近づく一足ずつなのだ』

2006年08月07日

TRAIN-TRAIN(2)〜関係のあり方〜

広井良典はその著書『持続可能な福祉社会』において
日本人の人と人との間の「関係」のあり方の身近な例として
以下のような特性をあげています。

1)見知らぬ他者同士がちょっとしたことで声をかけあったりコミュニケーションをとることが、日本社会ではほとんど見られないこと
2)「あいさつ」や感謝等の言葉が非常に使いづらかったり未成熟だったりすること
3)見知らぬ他者同士のあいだで、互いに道や順番などを「ゆずり合う」といったことが稀であること
4)同じマンション等の住人の間ですら、あいさつをかわしたりしないことが一般的になっていること
5)駅や街頭などで身体や荷物などをぶつけあったりしても互いに何も言わないことが珍しくないこと



上記のような例に共通して示されているのは、
“自分の知らない(なじみのない)他者に対してはほとんど顧慮せず、
またコミュニケーションをとらない”といった傾向なり行動様式です。

このことは逆に自分のよく知っている他者(あるいは同じ集団に属する者)に対しては、
むしろ異様なほど気を使ったり、あるいは“水入らず”と呼ばれるような
強い親密性が支配する、ということと表裏の関係にあります。

つまり、日本社会での人と人の関係性にあるのは、
「集団が内側に向かって閉じる」という基本的な特質であると思われます。
ある集団ができると、その内部では非常に濃密な気遣いや同調性が求められる一方、
その集団の「外」に対しては、無関心か、極端な「遠慮」(あるいは潜在的な排除・敵対関係)が支配する、といったあり方です。

あわせて重要なことは、ここでいう「集団」とは、様々に“伸縮”するような存在であり、
家族から会社組織、さらには「日本(人)」という国家にまで及ぶものであると同時に、
もっと小さくは「個人」でもありうるということです。


(ちくま新書・広井良典著『持続可能な福祉社会』205P〜213Pを要約)


この自分を中心とする同心円の「内」と「外」との間に明確な“境界”を引く日本人の特性は、
自分と他者との距離のバランスに繊細に配慮できるようなセンスを
僕たちに要求するように思います。

つまり、どこまで自分をさらし、どこまで自分を隠すかや相手のプライバシーに
どこまで踏み込み、どこで遠慮するかといった“距離感覚の繊細さ”が要求されます。
そしてこのような繊細な自我のあり方は、同時に自我の<弱さ>にもつながります。


posted by どぅー at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | TRAIN-TRAIN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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