私がめざすのは、
  日本を元気と生きがいのある社会にすること。
  そのためには、あらゆる世代の人々が自分に合った医療や治療法を
  気軽に安心して利用できることが必要です。 
  自立的な健康を手に入れ、生きがいのある仕事と充実した生活を共存させ、
  生き生きと人生を楽しんでいること。
  私はそんなネットワークを創りたい。

  それを実現するためには、『がんばらない、でも、あきらめない』ことが肝心。

  『がんばらない』とは、一生懸命にならないことではなく、
  自分の気持ちや身体からのメッセージを無視してまで
  「仕事」や「他人」を優先しすぎないこと。

  それさえ気をつけて夢をあきらめなければ、
  『本当にどんなにつらいことでも、
  それが正しい道を進む中での出来事なら、
  峠の上りも下りもみんな、
  本当の幸いに近づく一足ずつなのだ』

2006年08月08日

TRAIN-TRAIN(4)〜電車をめぐる二つの詩U〜

よく今の若い人たちは精神的に脆く、弱いといわれたりします。
先にあげた『夕焼け』の詩の少女の「やさしさ」とは、「弱さ」なんでしょうか。

逆に、昔の人たちの自我は「強かった」なんてこともよく聞きます。
でも、単なる「強さ」「弱さ」という言い方だけではうまく捉えられない側面もあると思います。

そうしたところを社会学者の菅野仁は、著作の中でうまく汲み取っています。


普通世間で自我の「強さ」ということで言われているのは、
自己実現のために「セルフ・コントロール」がきちんとできること、
あまり他者との関係についてくよくよ思い悩んだりしないタイプをさします。
自分の意思を貫き通す強さは確かに大切ですが、でもおうおうにして、
そういう人は人の心の動きや自分の周りの状況などに鈍感なところがあったりもする。

一方、普通自我の「弱さ」というのは、意志薄弱とか、頼りないとか、
そういう否定的なニュアンスが多分に含まれています。
英語でいえば、vulnerableという言葉があてはまる。
でも、今の若い人たちを見ていると、単にvulnerableというだけでなく、
傷つきやすいのだけど、感受性の敏感な、そういう意味でsensitive
自我のあり方という側面が多分にあるような気がしている。
こうした面をうまく活かしながら、感度のよい心を保ち続けるためにも、
他者や社会のつながりを自分の中で上手に引き受ける<知的構え>が
必要になると思っている。


(PHP研究所・菅野仁著『愛の本』106P〜107Pを要約)

その<構え>としてとても示唆に富むのが以下の電車をめぐる二つ目の詩です。


朝のできごと

通勤ラッシュの朝のことだった
八十は過ぎていそうなお婆さんが乗ってきて
入口付近の手摺りに寄りかかるように立った

手摺りの横には十代の少女が座っていた
少女はすぐに席を立った

通勤電車は進んでいく

席を譲ってもらったお婆さんは
少女のリックサックを膝に抱えた
布でできた大きなかばんだった
かばんの口から熊の顔がのぞいていた

お婆さんの顔と熊の顔が向き合った

お婆さんがあやしはじめた
布でできた小さな熊を
かさかさの小さな手のひらで
いとおしげにゆっくりと撫でながら
赤ん坊に話しかけるように
聞こえないほど小さな声で

少女は見ている

席を譲った少女が見ている


(大西美千代詩集「てのひらをあてる」より)
posted by どぅー at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | TRAIN-TRAIN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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