私がめざすのは、
  日本を元気と生きがいのある社会にすること。
  そのためには、あらゆる世代の人々が自分に合った医療や治療法を
  気軽に安心して利用できることが必要です。 
  自立的な健康を手に入れ、生きがいのある仕事と充実した生活を共存させ、
  生き生きと人生を楽しんでいること。
  私はそんなネットワークを創りたい。

  それを実現するためには、『がんばらない、でも、あきらめない』ことが肝心。

  『がんばらない』とは、一生懸命にならないことではなく、
  自分の気持ちや身体からのメッセージを無視してまで
  「仕事」や「他人」を優先しすぎないこと。

  それさえ気をつけて夢をあきらめなければ、
  『本当にどんなにつらいことでも、
  それが正しい道を進む中での出来事なら、
  峠の上りも下りもみんな、
  本当の幸いに近づく一足ずつなのだ』

2007年04月07日

孤独という名の成長痛


 「私どうすればいいの?」

 「成長するしかない」

 「したくない」

 「するしかないんだ」

 「いやでもみんな成長するんだよ。
 そして問題を抱えたまま年をとってみんないやでも死んでいくんだ。
 昔からずっとそうだったし、これからもずっとそうなんだ。
 君だけが問題を抱えているわけじゃない」

 彼女は涙の筋のついた顔を上げて僕を見た。
 「あなたって人を慰めることはできないの?」
 
 「慰めてるつもりなんだけど」
 
 「絶対に、ずれてるわよ」


(村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(下)』より引用)


成長の痛み、それは自分と向き合うことなんだと思います。

その証拠に、人は“一人”でじっとしていることができない。
誰もが大きな口をあけて、絵だろうと、酒だろうと、知識だろうと、
なんでもかんでも必死に呑みこもうとしている。

ほとんどの人が、おしゃべりもせず、テレビも見ず、本も読まず、
音楽も聞かず、酒も飲まずに、じっとすわっていることができない。
そんなふうにしていると、そわそわ落ち着かなくなり、
口や手で何かをせずにはいられなくなってしまう。

一人で、自分と向き合うようになれることは、
成長するための前提条件なんだ。


ダンス・ダンス・ダンス.jpg


posted by どぅー at 13:56| Comment(10) | TrackBack(0) | 心に響く言の葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。


自分と向き合うことは結構大変で、自分の中の隠したい部分があるから、逃げるのは簡単なんだよね。
見たくなければ見なきゃいいんだから。

でも自分と向き合う時間はすごく大事だなって私も思います。時間がたくさんあった時期は自分と嫌でも向き合わされてきつかったけど、過ぎてみればよかったなぁと思いましたよ。


Posted by ぱあやん at 2007年04月07日 16:49
ぱあやんさんへ

そのときは苦しくても過ぎてみれば良かったと
思えるような向き合い方をするためには、
ゆっくり静かに集中できる時間が必要なんだと思います。

なぜなら、はしゃぎや浮かれの中に自己省察の要素は皆無ですもんね。
Posted by どぅー at 2007年04月07日 19:48
嫌でも大人になるなかで、できるだけ理想に近づけるようにもがいて苦しんで悩むんですよね。
きっと悩みはつきないし辛かったりもするんだけど、今その1秒先も死に向かって全力疾走してて最後に「いい人生だったな」なんて思えるようにするにはいろんなものと向き合っていかなきゃいけないんですよね。もちろん自分とも。
私もまだまだ子供です!!成長してきます!!!
Posted by リナ at 2007年04月08日 00:43
リナさんへ

誰でも素晴らしい人生、充実して満足できる人生を望んでいて、
一回限りの人生の中で自分はどのようなかたちで能力や個性を発揮しつつ、
この生を楽しむことができるか、という問いを必ず抱えているものだと思う。

その問いに答えるかたちの『夢』や『理想』は、その人を努力させ、大きく成長させる。

けれど一方で、あまりに遠い『理想』から、現実の自分を見ると、
劣等感が生まれる。なぜなら、人間は常に理想に向かって行こうとするけど、
現実の自分は決して理想的ではないし、決して理想に達する事は出来ないから。
この劣等感は理想が高ければ高いほど、激しくなるものかもしれない。

だから、僕は『夢』を自分の人生の方向性みたいなものとして
とらえたいなと思っています。
夢や理想はつねに空想にすぎないけど、方向は現実。
目標っていうのは、方向の矢印を延ばしていった先に、仮に想定したものだもん。

最後の瞬間までお互い進みたい方向に向かって全力疾走したいね!!
Posted by どぅー at 2007年04月08日 14:06
桜の絨毯ができた♪w

なんと今日ちょうど深く内省してたんです^^
確かに痛いです!
でも自分と対話しないともっと痛いのかもしれない><
でも今日は決断できない自分でした
きっとビビってる
不安とか恐れは一番の敵だってわかってるのになぁ・・・
Posted by みにまむ苺 at 2007年04月09日 00:46
初めまして。mixiの足跡から辿ってきました。
RADWIMPS大好き繋がり(?)です☆
今までそこまで深くRADを聴いたことなく、いろいろ考えさせられました。ありがとうございます。

他の記事も読みました。
とても考えさせられました。素敵な時間をありがとうございました。
お邪魔でなければまた来ますっ。
Posted by つきみ at 2007年04月09日 22:45
苺ちゃんへ

そうそう、この桜の花びら下に溜まってくあたりの芸が細かいよね。


苺ちゃんも今、内省のときなんだ。
つながりが人を成長させるし、孤独が人を豊かにすることもある。
逆に、つながりや孤独が人を追い詰めてしまったりもする。

そのときどきで違うものなんだろうと思うし、その人の性格ってものもあると思う。

でも、大事なのは不安や恐れで曇らせることなく、
いかに自分を見れるかってところなんだろうね。
Posted by どぅー at 2007年04月09日 22:56
つきみさんへ

足あとからのコメントありがとうございます♪

僕もRADWIMPSはまだ知ったばかりなので、
RADつながりはとっても嬉しいです。

また、ぜひぜひ来て頂いて、
書き込んでもらえると光栄です!!

今後ともよろしくお願いしますね。
Posted by どぅー at 2007年04月09日 23:09
関連して、岡本太郎曰く
「なぜ、友達に愉快な奴だと思われる必要があるんだろう。こういうタチの人は自動的にみんなに気を使って、サービスしてしまうんだろうけれど。それは他人のためというより、つまりは自分の立場をよくしたい、自分を楽なポジションに置いておきたいからだということをもっとつきつめて考えてみた方がいい。
もっと厳しく自分を突き放してみたらどうだろう。
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹を決めて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。」『自分の中に毒を持て』
らしい。
孤独は不安になるけど、自分と対話することなくして自分が成長するわけないもの。成長痛というのは、面白い表現だね。
Posted by かわしー at 2007年04月10日 00:33
かわしーへ

岡本太郎すげーな。
信念を持って自分を貫けるかどうか、と同時に、
自他を投げ捨て自分を危機に投げ入れられることができるかどうか。
一歩誤れば、頑固と不干渉の境をゆく危ういバランスだよね。
でも、それがつながりと孤独を成長に繋げられるか否かの分水嶺なのかもしれない。

それを実践した生き様を思うと、佐藤優が思い浮かんだよ(*^_^*)

僕もふだん愉快な奴と思われたい傾向があるからグサリと来たな。
脳天にガツンとくるコメントをマジでありがとう!
Posted by どぅー at 2007年04月10日 08:00
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