私がめざすのは、
  日本を元気と生きがいのある社会にすること。
  そのためには、あらゆる世代の人々が自分に合った医療や治療法を
  気軽に安心して利用できることが必要です。 
  自立的な健康を手に入れ、生きがいのある仕事と充実した生活を共存させ、
  生き生きと人生を楽しんでいること。
  私はそんなネットワークを創りたい。

  それを実現するためには、『がんばらない、でも、あきらめない』ことが肝心。

  『がんばらない』とは、一生懸命にならないことではなく、
  自分の気持ちや身体からのメッセージを無視してまで
  「仕事」や「他人」を優先しすぎないこと。

  それさえ気をつけて夢をあきらめなければ、
  『本当にどんなにつらいことでも、
  それが正しい道を進む中での出来事なら、
  峠の上りも下りもみんな、
  本当の幸いに近づく一足ずつなのだ』

2008年04月29日

自転車の2つの走り方

今日は一日、行楽日和でとっても気持ち良かったです。

友人と自転車に乗って柏まで行き、自然食のバイキングを食べたり、
ゆったり温泉につかったり。

そんなぽかぽか陽気の中、自転車をこぎながらふと思ったことがあります。

目的地に向かって一生懸命走るサイクリングのあり方と
ただ純粋に周りの風景や走ることを楽しむポタリングのあり方は
なんだかちょっと人生の歩み方と似ているなぁと。



自転車全景.JPG


この2つの走り方のどっちがいいってことじゃなくて、
サイクリングの途中でちょっと立ちどまって周りの景色を楽しんだり、
ポタリングの最中に綺麗な写真を撮るという目的を見つけたりするのも
白か黒じゃないところがますます人生みたい。

入り口や最初の立ち位置がどっちからってだけで、
結局、「今を楽しむ」ってことには変わらない。

ただ、どちらか極端に偏ることは
その「今」をつまらなくしちゃう気がするけど、
往々にしてありがちな気がします。


たとえば仕事で、目的を見定め、最短距離で効率よく、
大きな成果をもたらすように物事を図るのがビジネスでは当然だけど、
目的にしばられすぎてあまりに目標達成のプロセスに
過剰適応してしまうと視野がきわめてせまくなったり。

一方、趣味や芸術、娯楽といった遊びの場面では、
目的もなく、暇つぶしでやってしまうと、グダグダになりやすく、
金銭と時間と体力を浪費するだけになってしまうこともしばしば。


だから、やっぱり目的や無目的って対立するものじゃなく、
両方を必要に応じて使い分けられるといいですよね。

最近だと、会社で卓球部を作って職場の人たちと仕事終わりに楽しんだり、
土日にWEBのスクールや産業カウンセラーの講座に通うことは
なんだか自分でもバランスをとろうとしてるのかなと思います。


こうした大きなバランスの視点を昔の中国の老子って人は、
『タオ』と呼んでいて、日本語では『道』と書くから、
ちょっと自転車とつながってきて面白いです。 

加島祥造という人が訳した『タオ 老子』という本の中に、
こんな詩があります。




 『「おっぱい」は好きなだけ吸うがいい』

 世間の人は
 頭を使いすぎる。
 頭を使うことは止めて、
 自分の内側のバランスをとってごらん。
 すると心配や憂鬱がどんどん薄らぐ。
 だいたい、
 世間が「よし」とか「だめ」とか言ったって
 それが君にとって何だというんだね?
 「善い」と褒められたって
 「悪い」と貶されたって
 どれほどの違いがあるかね。

 みんながびくびくすることに自分も
 びくびくしていたら、それこそ
 切りがないんだよ---果てしがないんだよ。

 そりゃあ、確かに、
 世間と仲良くすれば
 一緒に陽気に楽しめるさ。
 宴会で飲み喰いして騒いだり、
 団体旅行で海外に出たりしてね。

 一方、私みたいな人間はひとりきりで
 うそうそしている。目立たない存在で
 ろくな笑い声も立てない。
 みんなは物をたっぷり持っているのに
 こっちは何も持たず、
 ひとり置き去りにされ
 馬鹿みたいに扱われて
 まごまごしている。
 他の連中は素早く動いて手も早いのに
 こっちは独り、陰にいる。
 海みたいに静まりかえってるし
 風に吹かれてあてどなくさまよう。

 世間の人たちは目的を持ち、忙しがってるが、
 こっちは石ころみたいに頑固で鈍い。
 確かに私はひとり
 他の人たちと違ってるかもしれん。しかしね、
 自分はいま、
 あの大自然(タオ)の母親のおっぱいを
 好きなだけ吸ってるんだ。
 こう知ってるから平気なんだ、実際
 いま、こうして吸ってるんだからね。

  『タオ 老子』加島祥造著 筑摩書房刊より 




やるべきこととか雑念に日々囲まれ、
極端なものや行動に走りやすくなってるいっぱいいっぱいの毎日、
自然の中でからっぽになったり、周りに流されることなく、
目的を見つめ直せたりできるといいなぁ。

それにしても今日の帰り、田植え直後の田んぼに映った
大自然のおっぱいはとっても綺麗でした。



田んぼの夕日.JPG


posted by どぅー at 23:11| Comment(4) | TrackBack(0) | マウンテンバイク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
タオパイパイか♪
俺もあと少し突っ走ってから、大自然に身を投げ出したいです。
いつもながら見事な自然のおっぱいです☆
Posted by かわしー at 2008年05月01日 00:19
ま、まさに“タオパイパイ”!!笑
かわしー、やっぱり目の付け所が違う(*^_^*)

司法試験いよいよ今月に近付いてきたね。
応援してるぞい(^o^)/
Posted by どぅー at 2008年05月01日 07:36
サイクリングやポタリングが人生の歩み方に似ているという表現、素晴らしいね!!!

私の場合、サイクリングをする時は、当初は無目的なことが多いけども、走っていくうちに、些細なことだけど何らかの目的が見つかるんだよね。

無目的→目的→達成→心の潤い感

ってな感じ^^

自転車の走り方は、幸せの見つけ方とも共通しそうだなぁと、どぅーさんの日記を読んで感じたわぁ(*´ー`*)ノ
Posted by もんぺ at 2008年05月08日 01:48
もんぺさんへ

もんぺさんは自転車の走り方はポタリングが好みなんですね(*^_^*)

ムダやムラと思われる部分も決め付けずに付き合う寛容さが僕も欲しいな〜。
Posted by どぅー at 2008年05月09日 22:47
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